米沢駅に到着し、歴史散策する前に
駅前の観光案内所へ足を運びます。
米沢の上杉家を知ることができる「文化施設共通入館券」
通称・米沢観るパス 1300円
上杉神社・上杉博物館・上杉家廟所・春日山林泉寺・東光の酒蔵・宮坂考古館
上記6施設のうち好きな5施設を選んで行ける共通入館券で、
最大660円もお得になります。
また、指定店舗で様々な特典がある、
おもてなしクーポンも付いています。
これを購入して、まずは…お昼なんでランチタイムですね。
まずバスで上杉城跡苑へ向かいました。
『上杉城史苑』は、米沢牛グルメからお土産まですべてが揃う
観光と旅のキーステーションです。
ゆったり広い物産販売フロアでは、米沢牛・菓子・地酒から、
米沢織・お鷹ぽっぽなどの伝統工芸品まで、
城下町米沢を代表するお土産が揃っています。
学生時代もここへ立ち寄って中のレストランで
確か…米沢牛のハンバーグを食べた思い出があります。
その同じレストラン「米沢牛レストラン・アビシス」で
米沢牛のステーキ丼セット(3,500円)を注文しました。
(これから先、私のこの旅は米沢牛三昧となるのですが…)
食事後、まずは米沢市上杉博物館ヘ行ってみました。
数千に及ぶ上杉氏ゆかりの貴重な品々や国宝が収蔵されています。
展示室は「常設展示室」と「企画展示室」に分かれていて、
常設展示室では上杉の歴史と文化を中心とした
「江戸時代の置賜・米沢」を主軸に構成されています。
企画展示室では、置賜の歴史、上杉文化など歴史や美術に関する企画展や、
郷土ゆかりの作家や作品を取上げた展示を行います。
博物館内は結構きれいで明るく、
また体験コーナーなども充実しており、
展示品がとても見やすく、説明文も解り易いので、
子供も大人も非常に楽しそうでした。
私の趣味である江戸時代の大名関連の資料集めをする為、
博物館ミュージアムショップで
「図録 特別展 国持大名上杉家(2015)」を購入して、
博物館を出て次は目と鼻の先にある上杉神社へ向かいました。
旧米沢城本丸の奥御殿跡に建てられています。
明治9年、上杉謙信、上杉鷹山を祭神として、米沢城本丸跡に建立されました。
明治35年に別格官幣社(=明治政府が定めた神社の位置づけ、分類を表す。国に尽力した人物を祀る神社)
に指定され、このとき祭神は謙信のみとなり、
鷹山は摂社に祀られ松岬神社となりました。
大正8年に起こった米沢大火で類焼、
ほとんどの建物が焼け落ちてしまいましたが、
その後国からの援助金や米沢市民の労働奉仕などにより、
大正12年、現在の神社が完成。
神社内には、上杉神社の宝物殿である稽照殿があります。
お参りをした後、稽照殿へ向かいました。
上杉神社の宝物殿として刀や甲冑、絵画など約300点が収蔵展示されています。
中には国の重要文化財に指定されているものも多々あり、
歴史ファンには必見。
直江兼続が所用していたといわれている「金小札浅葱糸威二枚胴具足」、
いわゆる「愛」の前立の甲冑が展示されています。
他にも、上杉謙信が所用した鎧の中でも逸品といわれる
「紫糸威伊予札五枚胴具足(日輪の前立て)(県指定文化財)」など、
上杉家由来の数多くの宝物を見る事ができます。
上杉鷹山(治憲)の像が立っています。
日向国(現・宮崎県)高鍋藩主「秋月種美(たねみつ)」の次男として、
江戸で生まれました(幼名「直松」)。母の「春姫」は、四代目米沢藩主「上杉綱憲(つなのり)」の孫娘でした。
宝暦10年(1760年)に8代目米沢藩主「上杉重定(しげさだ)」の養子となり、
元服(成年の儀式)の際に名を「治憲(はるのり)」とします。
翌年の明和4年(1767年)に、家督を継いで弱冠17歳で9代目米沢藩主となった治憲(鷹山)は、
大きく傾いた米沢藩を救うため、まず「大検約令」発し、
役人の贅沢や無駄を正すことから、藩政改革への第一歩を踏み出します。
その後、農政を改革し、教育を進め、産業を発展させていくのですが、
最も大きな産業開発は「織物業」で、置賜特産の青芋(あおそ)を
原料とした縮織(ちぢみおり) に始まり、
これらを基として養蚕(ようさん)・絹織物へと発展していきます。
鷹山という名前にしたのは52歳からで、
文化3年(1806年)には、56歳となった鷹山が「養蚕手引」を発行・配布します。
文政5年(1822年)に72歳で死去しますが、
生涯を米沢藩の人々のために尽した功績は、
初代 上杉謙信と並んで後世に語り継がれています。
さて、次回は米沢藩上杉家御用酒屋 東光さんへと歩いていきます。
次回へ続く・・・