拙者の自由闊達な徒然風聞書(Blog)

趣味の鉄道旅行や食べ物、お城巡りや気づいたこと、ぼやきなど日々出来事等自由奔放な日記です。

【川越城下町歩き】歴史情緒あふれる街歩き

前回の記事で紹介したラーメン屋に行く前に

川越 熊野神社を参拝後、御朱印を戴いてきました。

川越 熊野神社は、室町時代紀州熊野本宮大社から

分祀された開運・縁結びの神社です。

次に徒歩で向かったのは川越城本丸御殿です。

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川越城本丸御殿は、嘉永元年(1848)、

時の藩主松平斉典が造営したもので、

武家風の落ち着いたつくりが印象的な

江戸時代17万石を誇った

川越城唯一の遺構が本丸御殿である。

明治維新後の解体により嘉永元年(1848)に

時の藩主松平斉典により再建されたものの一部であり、

現存しているのは玄関・大広間と移築復元された家老詰所のみ。

玄関に入ると廊下がぐるりと部屋を取り囲んでおり、

いくつかある部屋の装飾は質素で

装飾などは最低限に止められているが、

部屋を仕切る扉に描かれた杉戸絵や車寄せの構えは

豪壮でさすがに御殿と呼ぶにふさわしい造りです。

大広間にいまだに残る松の絵の絵板戸や、

現存する家老詰所には家老の人形などがありました。

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次に徒歩で向かったのは喜多院です。

喜多院は、天長7年(830)に慈覚大師が

無量寿寺を開いたのが始まりと伝えられています。

永仁4年(1296)、尊海が慈恵大師を

勧請して無量寿寺を再興し、

北院・中院・南院となる各房が建てられました。

喜多院となったのは慶長17年(1612)、

徳川家康の信任を得る天海僧正が、

住職となってからのことです。

寛永15年(1638)、大火によって喜多院のほとんどを焼失。

3代将軍家光が江戸城内・紅葉山から客殿、書院などを移築しました。

それが結果的には江戸の大火による焼失を免れることになり、

江戸城唯一の遺構として残されることになりました。

客殿や書院には「家光誕生の間」「春日局化粧の間」と

伝えられている部屋があります。

これらは、慈眼堂・山門などとともに

重要文化財に指定されています。

こちらでも参拝をさせて戴き、

喜多院御朱印もいただいてきました。

喜多院から歩いてすぐの場所にある

川越歴史博物館にも寄りました。

川越城川越藩のゆかりの品が展示してある川越歴史博物館。

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刀、弓矢、薙刀、鎖鎌に火縄銃などなど。

平安時代武蔵国武士の物から、

川越藩松平家所用の品々まで数多く観ることができます。

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館長が文化財保護の立場で、

親子3代で集めた数多くの品や資料は、

歴史的欲求をくすぐられる場所です。

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川越歴史博物館の一番の見所は3階にある武具・甲冑。

室町・戦国時代のものを中心に、様々な種類が揃っていて、

中には珍しい馬の鎧などもあります。

また、NHK大河ドラマ「独眼竜正宗」に出演した兜まで。

近隣の博物館には負けない程の見応えがあります。

また川越歴史博物館は、喜多院仙波東照宮などの

歴史的な寺社があるエリアにあるので、

一まとめで観光することができます。

受付のおじさんによる丁寧な説明に

火縄銃を持たせて戴いたりと、

本当に良い体験もできました。

歴史好きにはもってこいの場所ですね。

こうゆう博物館があっても良いなと思いました。

ここからバスと徒歩で西武新宿線

本川越駅に戻りました。

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