前回の記事で紹介したラーメン屋に行く前に
分祀された開運・縁結びの神社です。
次に徒歩で向かったのは川越城本丸御殿です。
時の藩主松平斉典が造営したもので、
武家風の落ち着いたつくりが印象的な
江戸時代17万石を誇った
川越城唯一の遺構が本丸御殿である。
時の藩主松平斉典により再建されたものの一部であり、
現存しているのは玄関・大広間と移築復元された家老詰所のみ。
玄関に入ると廊下がぐるりと部屋を取り囲んでおり、
いくつかある部屋の装飾は質素で
装飾などは最低限に止められているが、
部屋を仕切る扉に描かれた杉戸絵や車寄せの構えは
豪壮でさすがに御殿と呼ぶにふさわしい造りです。
大広間にいまだに残る松の絵の絵板戸や、
現存する家老詰所には家老の人形などがありました。
次に徒歩で向かったのは喜多院です。
喜多院は、天長7年(830)に慈覚大師が
無量寿寺を開いたのが始まりと伝えられています。
永仁4年(1296)、尊海が慈恵大師を
勧請して無量寿寺を再興し、
北院・中院・南院となる各房が建てられました。
喜多院となったのは慶長17年(1612)、
住職となってからのことです。
寛永15年(1638)、大火によって喜多院のほとんどを焼失。
3代将軍家光が江戸城内・紅葉山から客殿、書院などを移築しました。
それが結果的には江戸の大火による焼失を免れることになり、
江戸城唯一の遺構として残されることになりました。
客殿や書院には「家光誕生の間」「春日局化粧の間」と
伝えられている部屋があります。
これらは、慈眼堂・山門などとともに
重要文化財に指定されています。
こちらでも参拝をさせて戴き、
喜多院から歩いてすぐの場所にある
川越歴史博物館にも寄りました。
刀、弓矢、薙刀、鎖鎌に火縄銃などなど。
館長が文化財保護の立場で、
親子3代で集めた数多くの品や資料は、
歴史的欲求をくすぐられる場所です。
川越歴史博物館の一番の見所は3階にある武具・甲冑。
室町・戦国時代のものを中心に、様々な種類が揃っていて、
中には珍しい馬の鎧などもあります。
近隣の博物館には負けない程の見応えがあります。
歴史的な寺社があるエリアにあるので、
一まとめで観光することができます。
受付のおじさんによる丁寧な説明に
火縄銃を持たせて戴いたりと、
本当に良い体験もできました。
歴史好きにはもってこいの場所ですね。
こうゆう博物館があっても良いなと思いました。
ここからバスと徒歩で西武新宿線の
本川越駅に戻りました。
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