拙者の自由闊達な徒然風聞書(Blog)

趣味の鉄道旅行や食べ物、お城巡りや気づいたこと、ぼやきなど日々出来事等自由奔放な日記です。

【'17瀬戸内城下町巡り_11】 再び城下町巡り(岡山県・岡山編)

岡山駅前から市電に乗って城下というところで

降りて、さらにそこからは徒歩で行ける。

ここで観光案内所で配布されている

岡山城&後楽園の割引券付マップをもらって、

岡山駅前の市電乗り場へ急ぎます。

 

私が北海道にいたとき、札幌の近くに住んでいましたが、

このとき札幌大通りとススキノを大回りで結んでいた

市電に大変お世話になっていました。

地元・横須賀には路面を走る電車はないので、

岡山の路面電車を見ると、なんか懐かしいですね。

 

岡山駅前から路面電車に乗って城下というところで降ります。

 

 

岡山城へ行く前に去年の夏に行けなかった

林原美術館へ行き、土佐から来たぜよ!坂本龍馬展を

ゆっくり見てきました。

その後、岡山城へと向かいます。

 

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岡山城を築城したのは宇喜多秀家で、

岡山城を居城にして戦国大名として成長し、

豊臣家五大老を務めましたが1600年、関ヶ原の戦いにおいて、

西軍方の主力となった秀家は改易となり、

西軍から寝返り勝敗の要となった小早川秀秋

入封し備前・美作の51万石を所領とした。

ただ慶長7年10月18日(1602年12月1日)、

秀秋は無嗣子で没したため小早川家は廃絶。

 

慶長8年(1603年)、姫路藩主・池田輝政の次男・忠継が

岡山に入封し、ここに江戸期の

大名である池田家の治世が始まる。

元和元年(1615年)忠継が無嗣子で没し、

弟の淡路国由良城主・忠雄が31万5,000石で入封。

寛永9年(1632年)忠雄の没後、嫡子・光仲は幼少のため

山陽筋の重要な拠点である岡山を

任せるには荷が重いとして、鳥取に国替えとなった。

代わって従兄弟の池田光政鳥取より31万5,000石で入封し、

以後明治まで池田家10代約240年間、

岡山藩を治めることとなった。

 

去年の夏に岡山城散策時は

残暑が厳しくて、さらに松江、鳥取と巡ってからの

岡山だったので、疲れていました。

今回は冬とあってゆっくり城周りを歩くことが出来ました。

 

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ここから後楽園を回ってお目当ての

岡山県立博物館へと向かいますが、

その前に面白いスイーツを出すお店を見つけました。

 

次回へ続く・・・