拙者の自由闊達な徒然風聞書(Blog)

趣味の鉄道旅行や食べ物、お城巡りや気づいたこと、ぼやきなど日々出来事等自由奔放な日記です。

【'16夏_9】山陰・中国地方 城下町巡り(岡山県・岡山編)

岡山駅について、まずは情報収集ということで、

岡山駅の観光案内所へ。

現在の時刻は16時前。岡山城と後楽園に行くのに

入場時間が間に合うかどうか聞いてみましたが、

どちらもまだ間に合う時間だったみたい。

 

岡山駅前から市電に乗って城下というところで

降りて、さらにそこからは徒歩で行ける。

ここで岡山城&後楽園の割引券付マップをもらって、

岡山駅前の市電乗り場へ急ぎます。

 

私が北海道にいたとき、札幌の近くに住んでいましたが、

このとき札幌大通りとススキノを大回りで結んでいた

市電に大変お世話になっていました。

地元・横須賀には路面を走る電車はないので、

岡山の路面電車を見ると、なんか懐かしいですね。

 

岡山駅前から路面電車に乗って城下というところで降ります。

その近くで郵便局により、鳥取や岡山のパンフレットなどを

送り、カバンの中身を軽くしたかったので、レターパックを購入。

これを岡山城見学後、荷造りして送ることにしたのですが・・・

城下から案内板に従って歩いていくと、目の前に

後楽園の入り口と岡山城が見えてきました。

 

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岡山城を築城したのは宇喜多秀家で、

岡山城を居城にして戦国大名として成長し、

豊臣家五大老を務めましたが1600年、関ヶ原の戦いにおいて、

西軍方の主力となった秀家は改易となり、

西軍から寝返り勝敗の要となった小早川秀秋

入封し備前・美作の51万石を所領とした。

ただ慶長7年10月18日(1602年12月1日)、

秀秋は無嗣子で没したため小早川家は廃絶。

 

慶長8年(1603年)、姫路藩主・池田輝政の次男・忠継が

岡山に入封し、ここに江戸期の大名である池田家の治世が始まる。

元和元年(1615年)忠継が無嗣子で没し、

弟の淡路国由良城主・忠雄が31万5,000石で入封。

寛永9年(1632年)忠雄の没後、嫡子・光仲は幼少のため

山陽筋の重要な拠点である岡山を

任せるには荷が重いとして、鳥取に国替えとなった。

代わって従兄弟の池田光政鳥取より31万5,000石で入封し、

以後明治まで池田家10代約240年間、岡山藩を治めることとなった。

 

私がこの前に訪れた鳥取も池田家の領地でした。

鳥取と岡山の殿様は赤の他人ではなく、

同じ池田家の親戚同士という訳です。

岡山城に着いたとき、もう夕方の風景になっていました。

夕方の岡山城も味がありますね。

 

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お城の内部も見てきました。中には備前焼を体験できるエリアがあったり、

お土産屋も入っていました。また、お城ができた成り立ちを説明した案内や、

歴代藩主に関する品など展示されています。

最上階の天守から金の鯱と後楽園を見ることができます。

 

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最上階は涼しいいい風が吹いていました。気持ちがいい!!

ここから岡山の街を見下ろすのも乙なものでした。

あちこち見終わって、レターパックにパンフレット等を積めて封をした後、

次は後楽園へ向かいます。

後楽園入り口付近で夕焼けに照らされる岡山城を撮ってみました。

夕日に照らされるとまた違った風景になるんですね。

 

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さて、お城の隣にある後楽園に到着。

岡山後楽園は、今から約300年前に岡山藩2代藩主池田綱政が

藩主のやすらぎの場として作らせた庭園です。

江戸時代の後楽園には、許しがあれば領民も入ることができました。

 

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能を好んだ綱政は自ら舞う姿を見せたり、継政以後の藩主たちは、

参勤交代で岡山を留守にする間は日を決めて庭を見せています。

また、藩主のお客をもてなす場としても使われました。

明治4年、池田家では「御後園」を「後楽園」と改め、

17年には名園保存を目的に岡山県に譲渡しました。

当初は公園ではなく県庁付属地として公開されたため、

日没閉門などの決まりを作って保存が図られました。

昭和9年の水害、20年の戦災に遭いましたが、

江戸時代の絵図などに基づいて復旧がはかられ、

江戸時代の姿を大きく変えることなく今日に受け継がれています。

大正11年に名勝に指定され、昭和27年には

文化財保護法による特別名勝に指定されました。

江戸時代のおもかげを伝える庭園として多くの方に愛され、

金沢の兼六園、水戸の偕楽園とあわせて「日本三公園」と称され、

今では日本三名園として親しまれています。

 

夕方の後楽園、この一角でアイスでも食べながらゆっくり・・・

いや・・・もう暑い!松江・鳥取を出てから歩きっぱなしで

お腹が空いた!!!

・・・という訳で後楽園を後にして市電乗り場まで歩き、

行きと同じ城下から市電に乗って岡山駅に戻りました(笑)

 

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次回は岡山で地元で有名になったものを夕食とします。

(岡山のえびめしって?)