前回からの続き。
私が訪れたのは、茨城県の水戸。
ここは江戸時代、徳川将軍家の血筋で形成された
徳川御三家の1家、
水戸の徳川家11代のお殿様が治めました。
まずは、偕楽園へ。
「日本三公園」のひとつで、天保13年(1842年)に
斉昭は、千波湖に臨む七面山を切り開き、
領内の民と偕(とも)に楽しむ場にしたいと願い、
「偕楽園」をつくりました。
園内と拡張部(田鶴鳴梅林等)を合わせて約100品種
3,000本の梅が植えられ、毎年2月~3月には
全国から大勢の観光客が訪れています。
以前私が訪れたのは、あの東日本大震災が起きる
1か月前のこと。あの地震で偕楽園も大きな被害を受けましたが、
今は花見客で賑わい、明るい声があちこちから聞こえます。
偕楽園は花見客ですごく賑わっており、なかなかゆっくり歩けないので
梅の花の写真を撮って、次の目的地へ。
次に行く所が私の本当の目的地です。
咲き誇る梅の花を横目に電車が通過していきました。
「徳川ミュージアム」
水戸徳川家13代当主徳川圀順公が、
伝来の大名道具や古文書類を寄贈して設立した
公益財団法人徳川ミュージアム(旧 財団法人水府明徳会)の博物館として、
昭和52年(1977)に開館しました。
所蔵品は、徳川家康公の遺品(駿府御分物-すんぷおわけもの-)を中心に
家康公の子である初代頼房公、2代光圀公ら歴代藩主や、
その家族の遺愛の什宝約3万点に及びます。
さらに敷地内にある彰考館文庫収蔵の『大日本史』草稿本や、
その編纂のために全国から集められた古文書類約3万点からも史料が展示されます。
これらの品々は各々の美的、歴史的価値以上に、
水戸家伝来品として一揃いとなって水戸の地に
存続し続けるところに最大の意義があります。
各地に数多くの博物館、美術館がありますが、
「大名家」特に「水戸徳川家」のまとまった
史料がみられる唯一の博物館です。
私はこういう歴史の、特に江戸時代の物事を
伝える博物館・美術館巡りをしていました。
ここでは3月29日まで水戸徳川家の名宝展を
葵の印籠など見ることができます。
館内は撮影禁止ですが、撮影OKな休憩スペースに
鎧が置いてありました。
ここでゆっくり水戸徳川家の名宝を鑑賞した後、
近くのバス停まで歩き、茨城交通のバスで
水戸駅まで戻りました。
近くのバス停が「見川二丁目」↓徳川ミュージアムまで徒歩5分弱。
次回は水戸と言えば・・・納豆ではなく、
お昼ご飯に常陸牛を戴きます。
・・・その様子は次回へ続く。
ブログランキングに参加しています。
宜しければ、励みになりますので、
①下の拍手ボタン
②パソコンからご覧の方はブログ左上の
「私のブログ投票ボタン」の
ピンク色の釦
上記2つの釦をポチっと押して下さい。
③twitterボタンでの共有応援等。
宜しくお願いします。