西武の本川越駅に着いてから、周遊バスに乗って蔵の街に着くと、
そこは大勢の観光客でごった返している。。。
お菓子横丁に行ってもすごい人混みで、もう・・・
でも懐かしいお菓子を沢山発見しました!!
小さい頃お祭りの露天などでよく見たなあ・・・
「菓子屋横丁」では、明治の初めから菓子を製造していました。
それが、関東大震災で被害を受けた東京に代わって
駄菓子を製造供給するようになり、
昭和初期には70軒ほどの業者が軒を連ねていたといわれています。
現在は20数軒の店舗が連なり、横丁気分が満喫できます。
平成13年度には、横丁が醸し出す雰囲気と
下町風の菓子の懐かしいかおりが漂うということで、
環境省の実施した「かおり風景100選」に選ばれています。
人混みをかき分けて時の鐘の下まで歩きました。
城下町川越のシンボル、時の鐘は、
寛永年間(1624~1644)の頃、川越城主・酒井忠勝(さかい ただかつ)により
常連寺の境内に建立したのが最初と伝えられています。
寛永16年(1639)、川越城主となった松平信綱(まつだいら のぶつな)は、
前年の大火で灰燼に帰した町を再生するために新しい町割(都市計画)を実施しました。
そのときに鐘楼を十ヵ町の中心地である現在の位置に再建しました。
ここで鐘を鳴らすと町の東西南北に均等に鳴り響き、都合がよかったといいます。
最初は2層建てでしたが、火の見櫓(やぐら)としての使用も考えて
2層から3層の鐘楼に建て増しされたのは、享保18年(1733)、
秋元喬房(あきもと たかふさ)が城主の時といいます。
現在の時の鐘は明治の大火の翌年に再建したもので4代目といわれています。
明治27年(1894)7月26日に完成、
江戸時代の形をほぼそのままに再現しました。
木造3階建て、高さ16.2メートル、鐘の重さは731.25キロです。
時の鐘の「鐘音」は、平成8年(1996)に環境省の
「残したい日本の音風景100選」に選ばれています。
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