拙者の自由闊達な徒然風聞書(Blog)

趣味の鉄道旅行や食べ物、お城巡りや気づいたこと、ぼやきなど日々出来事等自由奔放な日記です。

【'13会津-2】会津藩の中心・会津若松城へ

会津若松駅からバスで会津若松城の入口まで向かいます。

バスを降りると路面が凍結して、

歩くのに一苦労・・・でも北海道で生活した時に

学んだ歩き方でなんとか転ばずに行ける・・・

会津若松駅から会津バスのハイカラさん・あかべぇ号で

鶴ヶ城入口」下車、徒歩5分で天守閣に到着できます。

会津若松城(鶴ヶ城)は奥羽の要・鎮守の意味もあり、

名立たる戦国大名や勇将が相次いで入部しました。葦名氏の祖、

佐原義連に始まり、独眼流で知られる伊達政宗

天下人と目せられた蒲生氏郷関ヶ原で名を馳せた

上杉景勝加藤嘉昭、そして名君の誉れ高い保科正之公です。

会津歴代領主・藩主>

1189年→1589年  佐原氏・葦名氏

1589年→1590年  伊達氏

1590年→1598年  蒲生氏(92万石)

1598年→1601年  上杉氏(120万石)

1601年→1627年  蒲生氏(60万石)

1627年→1643年  加藤氏(40万石)

1643年→1868年  保科氏、後に松平氏(23万石)

江戸幕府2代将軍徳川秀忠の四男

保科正之を家祖とする会津藩の藩主家です。

正之は将軍の実弟でありながら謙虚に身を処し、

家光の信頼を受けて4代将軍家綱の後見役に立てられ、

幕政に重きをなした。

当初は松平姓の名乗りも固辞し続けていたが、

正之死後の1696年、3代正容(正之の子)が松平を称するようになった。

(このため、正之から2代は松平姓を称していないが、正之を初代と数える)

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蒲生氏郷が本格的な天守閣を築城し、

名前も『鶴ヶ城』と改められました。この時に積まれた

石垣が400年以上経った今でも朽ちることなく、

往時の姿を忍ばせています。

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このように名高い武人らが築いた広大な縄張りは、

今もなお東日本屈指の規模を誇っています。

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さて、次は歩いてJR西若松駅まで出て

そこから会津若松まで戻り、

会津武家屋敷へと向かいます。