拙者の自由闊達な徒然風聞書(Blog)

趣味の鉄道旅行や食べ物、お城巡りや気づいたこと、ぼやきなど日々出来事等自由奔放な日記です。

【JR東日本パスの旅2】弘前・津軽藩の城下町へ

新青森から足を伸ばして弘前へ。

ここで私の趣味の1つ、お城巡りへ出発。

弘前駅から100円バスで弘前市役所前で下車し、

弘前城がある弘前公園へ向かいます。

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弘前藩津軽為信は南部氏の支配から独立し、

以後、戦国大名としての地位を固めました。

慶長五年(1600)関ヶ原の戦い徳川家康方に着き、

美濃大垣城攻めに参加し、4万5千石を安堵され、

のち2千石を加増され、4万7千石の城下町となった。

その頃居城としていた堀越城が小規模で守備面にも

不安があった為、新たな城を築き始めた。

しかし、城の完成を見る前に、為信は慶長12年没した。

一時築城は中止されるが、跡を継いだ三男の信牧は、

父の遺業を達成せんと慶長15年より工事を再開、

翌16年に五層の天守閣が聳える城を完成させた。

その後寛永四年(1627)、落雷により天守閣を焼失するが再建されなかった。

しかし、文化二年(1805)九代寧親(やすちか)の時、

蝦夷地警護の労を賞され7万石、同五年10万石に加増されると、

体面を保つ為に翌年から天守閣再建が始まるが、

本丸辰巳櫓を改築したもので、文化七年10月に三層の天守閣として完成した。

弘前藩は石高は10万石だが、開墾しつくした為、

実収入は30万石とも100万石とも云われる。

現在は、天守閣を初めとし、櫓や門など九棟が重要文化財に指定されている、

国指定史跡。

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弘前城は、藩祖為信公により計画され、

二代藩主信枚公により慶長16年(1611年)に完成しました。

来る平成23年(2011年)には築城400年の節目の年を迎える事になり、弘前城築城400年祭のマスコットキャラクター

「たか丸くん」がお出迎えしてくれます。

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私が撮った写真の中で、新緑とお城のバランスが

気に入った一枚をご紹介します。

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弘前城の資料館を見て、弘前公園を歩きまわり

何枚もお城を写真に収めると空がどんよりとしてきました。

そろそろJR弘前駅へ戻ります。

次回へ続く。。。