拙者の自由闊達な徒然風聞書(Blog)

趣味の鉄道旅行や食べ物、お城巡りや気づいたこと、ぼやきなど日々出来事等自由奔放な日記です。

旅をするきっかけとなった場所へ

今日は私が旅歩きのきっかけとなった場所へ遊びに行きました。

そこは神奈川県西部の城下町・小田原です。

私が小さい頃、よくこれから乗る列車が通るたびに手を振っていたそうです。

そこでもう他界した父が私を特急踊り子号に乗せて小田原へ行き、小田原城

見に行ったのが私の旅始めでした。

そんな事を思い出し、ふらっと出かける事にしました。

東海道新幹線・新横浜駅に到着すると年末帰省ラッシュの影響か、

ものすごい人ごみの中、新横浜13:46発《こだま659号》名古屋行に

乗車しましたが、座った席が喫煙席の自由席。。。

俺、煙草大っ嫌いなんだよね。。小田原は次の駅だったけど

めっちゃキツかったなあー。。

小田原に14:04に到着し、ここから小田原城を目指して歩きました。

駅から歩いて10分しないうちに小田原城へ到着できます。

目の前に懐かしい御城の姿が現れました。

小田原城は、神奈川県小田原市にあった、

戦国時代から江戸時代にかけての平山城で、

江戸時代には小田原藩の藩庁があった。

城跡は国の史跡に指定されています。

現在の天守閣は、昭和35年(1960)5月に、市制20周年の記念事業として復興したもので、

宝永時代の再建時に作成された引き図(設計図)や模型を参考に、

鉄筋コンクリートで外観復元したものです。

内部は、古文書、絵図、武具、刀剣などの歴史資料の展示室となっています。

標高約60メートルの最上階からは相模湾が一望でき、

良く晴れた日には房総半島まで見ることができます。

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下の写真は、常盤木門といいます。

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本丸の正面に位置し、小田原城の城門の中でも、最も大きく堅固に造られていました。

 古絵図などの記録から、江戸時代初期から設けられていたそうです。

元禄16年(1703)の大地震で崩壊した後、宝永3年(1706)に、

多門櫓と渡り櫓から構成される桝形門形式で再建されたものが、

明治3年(1870)の小田原城廃城まで姿をとどめていたといわれています。

現在の常盤木門は、市制30周年事業として再建したもので、昭和46年(1971)3月に完成しました。

常盤木とは常緑樹の意で、門の傍らには往時から松が植えられており、

また、松の木が常に緑色をたたえて何十年も生長することになぞらえ、

小田原城が永久不変に繁栄することを願って、

常盤木門と名付けられたといわれています。

さて、日が傾いてきたので、思い出のお城を後にして

静岡県の有名温泉地・熱海まで出て、特急踊り子号に乗車して

帰宅します。きょうはここまで、次回へ続く。。。

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