宇都宮餃子を食べた後・・・
「あっ!!餃子はニンニクが入っていたんだ・・・」
・・・パセオの中を見回すと、お菓子屋さんを発見!!
ミント系の口臭を消すフリスク的なものがあるかも!
というわけで、ミンティアブリーズ リラックスグリーン(189円)を購入。
口の中を急いでミンティアで浄化?しました。
宇都宮からは日光線の日光行電車を発見。
早速乗り込んだんですが、今はお盆時期で
お客さんがいっぱい!!特に外国人観光客も多く、
東京の通勤ラッシュ並みの混雑度。
この様子だと、日光へ行ってもゆっくり歩けないと判断して、
日光線・下野大沢で折り返し、宇都宮行の列車に乗って
どこへ行こうか考えた結果、宇都宮城跡へ行くことに決定。
歩いて25分くらいで宇都宮城跡が見えてきました。
宇都宮市制110周年を迎える平成18年度に、
慶長6年(1601年)12月28日には関ヶ原の戦い後
京警備で功を認められた奥平家昌が10万石で入り、
かつて宇都宮氏の菩提寺の一つであった田川対岸にある興禅寺を
再興するなど城下町の機能を復興した。
さらに元和5年(1619年)、徳川家康の懐刀と言われた本多正純が15万5千石で宇都宮に入り、
宇都宮城と城下の改修を行った。
縄張りを拡張して新たな郭を設け、本丸など城郭周囲を掘削し湧水を張って幾重の水濠とし、
掘削で生じた土を高く盛り上げて土塁とした。
こうして正純は宇都宮城を近世城郭とする一方、
城内の寺社群(延命院、長楽寺など)を街道沿いに再配置するなど城下の防御能を向上させると同時に、
城内に将軍宿泊所となる本丸御殿を建設し、
また宇都宮宿の宿機能・駅機能を整備するなど日光社参に関する設備向上を促進した。
この大改修工事の結果、宇都宮城下は城下町、門前町、宿場町の各機能を持つ都市に再編された。
宇都宮城改修に際し、正純は幕府の意向に順じ
宇都宮城に天守は設けず2層2階の清明台櫓を天守の代わりとしたが、
正純の意に反して宇都宮城改修にまつわる正純謀反の噂が流布され
、元和8年(1622年)に正純は改易された(宇都宮城釣天井事件)。
正純時代の3年間は宇都宮城下に大きな変化をもたらし、
正純によって再編された都市基盤は近代都市・宇都宮市の礎となった。
その後、奥平氏、奥平松平氏、本多氏、奥平氏、阿部氏、戸田氏、深溝松平氏と
譜代大名が城主としてこまめに入れ替わった。
江戸時代後期には戸田氏が67,000石~77,000石で治め、幕末を迎える。
ここでは宇都宮城址公園となって
子供たちが楽しそうに遊んでいました。
長閑な時間が流れていました。
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