今日は私が旅歩きのきっかけとなった場所へ
あじさい祭りの花見を兼ねて遊びに行きました。
そこは神奈川県西部の城下町・小田原です。
私が小さい頃、よく特急踊り子号という列車が通るたびに
大船駅で手を振っていたそうです。
そこでもう他界した父が私を連れて
特急踊り子号に乗せて小田原へ行き、小田原城を
見に行ったのが私の旅始めでした。
そんな事を思い出し、ふらっと出かける事にしました。
小田原城へ足を運びます。
小田原城の歴史をちょっとだけ書くと、
江戸時代を迎えると小田原城は徳川家康の支配するところとなり、
その家臣大久保氏を城主として迎え、
城の規模は三の丸以内に縮小されました。
稲葉氏が城主となってから大規模な改修工事が始められ、
近世城郭として生まれ変わりました。その後、
1686年、再び大久保氏が10万3000石で入封した。
それから漸次加増をうけ、最終的に11万3000石となる。
以後は幕末・明治初頭まで大久保氏の支配が10代続いた。
箱根を控えた関東地方防御の要衝として、
幕末まで重要な役割を担ってきました。
現在の小田原城跡は、本丸・二の丸の大部分と総構の一部が、
国の史跡に指定されています。また、本丸を中心に
「城址公園」として整備され、昭和35年(1960)に天守閣が復興、
次いで昭和46年(1971)には常盤木門、平成9年(1997)には銅門、
平成21年(2009)には馬出門が復元されました。
さらに小田原市では、貴重な文化的遺産である
小田原城跡をより一層親しんでいくとともに、
長く後世に伝えていくことを目的として、
本格的な史跡整備に取り組んでいます。
平成18年10月に、「日本の歴史公園100選」に選ばれました。
さて、東堀斜面に紫陽花がたくさん咲いています。
紫陽花もまつりのタイトルに入ってましたね。見頃を少し過ぎていますが、
もうしばらく楽しめそうです。
紫陽花とともに天守閣が少し見えます。
色とりどりの紫陽花、思ったよりいろんな種類が咲いていました。
7月1日、祭りの最終日でもう紫陽花は殆どないと思っていましたが、
これほどまでに紫陽花が残って咲いていてくれたことに感謝します。
写真撮影中に雨が降り出し、紫陽花も喜んでいるようでした。
小田原城を出て、小田原から東京行きの特急踊り子号に乗車します。
ここで懐かしい光景を目にする事になろうとは・・・
続きは次回にします。
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