拙者の自由闊達な徒然風聞書(Blog)

趣味の鉄道旅行や食べ物、お城巡りや気づいたこと、ぼやきなど日々出来事等自由奔放な日記です。

【上諏訪温泉3】諏訪藩3万石高島城

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旅館から徒歩15分ほどで

江戸時代・諏訪藩3万石を治めた藩主、諏訪氏がいた

高島城に到着しました。

日根野高吉が築城の適地とした高島は、

当時諏訪湖畔に島状を呈していたと思われる場所で「浮島」とも呼ばれ、

ここには主に漁業を営む村落があったことが記録に残っています。

高吉はこの村をまるごと移転させて高島城を築いたといわれています。

完成当時は、城のまわりは湖水と湿地に囲まれ、

あたかも諏訪湖中に浮かぶようであったので、

別名「諏訪の浮城」と呼ばれました。

城の北側には城下町(兼甲州道中上諏訪宿)が設けられ、

城下町から城までは一本の道しかありませんでした。

城は、北から衣之渡郭、三之丸、二之丸、

本丸が一直線に並ぶ「連郭式」と呼ばれる形態です。

日根野高吉は高島城を築城し、

領内統治の仕組みを作るなど領主としての足固めを進めたが、

慶長5年関ヶ原の合戦直前に死去。

跡を継いだのは子の吉明ですが、

翌年に下野国壬生に移されました。

そのあと諏訪を与えられたのが諏訪頼忠の子で

そのとき惣社の領主となっていた諏訪頼水です。

頼水は高吉の築城した高島城に入り、

ここに諏訪氏による諏訪統治が約60年ぶりに復活しました。

以来、諏訪家10代目忠礼のときに明治維新を迎えるまで

約270年、変わることなく諏訪氏が領主として続きました。

明治維新を迎え、旧支配体制の象徴である高島城は

破却されることになりました。

明治3年頃から城内の建物が順次払い下げられ、

天守も取り壊されました。破却後、

本丸跡が「高島公園」として開放されましたが、

それ以外は市街地化していきました。

昭和45年、市民の熱意によって天守が外観復元され、

門や櫓などもあわせて復興されました。

その市民の熱意によって復元された

今の姿が下の写真と一番上の写真に表されています。

お堀の水が凍っています。

この日は、高島公園内で「どんどん焼き」を行っており、

寒い朝にもかかわらず、子供たちが元気いっぱいに

走り回っていました。

子供は風の子ですねえ。

諏訪のお殿様も空の上から元気な子供たちの

姿を見て、笑っている事でしょう。

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その話以降は次回にします。

次回は、上諏訪駅に戻って、

特急≪スーパーあずさ14号≫に乗って帰ります。

その様子をレポートします。

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