拙者の自由闊達な徒然風聞書(Blog)

趣味の鉄道旅行や食べ物、お城巡りや気づいたこと、ぼやきなど日々出来事等自由奔放な日記です。

館林のつつじが岡公園

東武鉄道館林駅から
つつじが岡公園へ向かいます。
例年運行している館林駅つつじが岡公園
シャトルバスの運行は
新型コロナウイルス感染予防の為、
運休とのことで、代わりに、
館林駅東口~つつじが岡公園
つつじ観光バス株式会社
タクシーセンターを乗車に限り
通常メーター料金約1,230円のところ….
片道1,000円で行けるサービスを
お祭り期間中のみ行っています。
私はこのサービスを往復利用しました。
つつじが岡公園は毎年4月上旬から5月上旬にかけて、
「つつじまつり」が開催されるエリアです。

つつじが岡公園」の東側、ツツジの植栽される
丘の部分(約1.7ヘクタール)を地元の人々は
『花山』と呼びます。
この公園は古来からヤマツツジの自生する地で、
室町時代の書物にも「躑躅ヶ崎」の名で記されています。
江戸時代の初期には、既にツツジの名所として近隣に知られ、
1627年に館林城主榊原(松平)忠次が、
ツツジの古木群をこの地に移植して以降、
大名らの手により保護育成が図られてきました。
そして一時的に荒廃した時代もありましたが、
約400年もの間、このツツジ園が連綿と
維持され続けてきたとのことです。

1627年、松平(榊原)忠次は、
当時領内だった新田郡武蔵島村(現在の群馬県太田市尾島町)から、
新田義貞が妻、勾当之内侍(こうとうのないし)のために
植えたと伝えられるツツジを数百株を移植しました。
このツツジは「勾当之内侍遺愛のつつじ」と呼ばれ、
今もなお園内で見ることができます。
また、1661から1672年の寛文年間には、
後に5代将軍となる、城主徳川綱吉が、
日光の山より数十株を移植しています。
ツツジの保護にも相当尽力していたと思われます。
城主の交代が行われる際には、双方から役人を送り、
ツツジ1本1本を数え、目録を添えて
新城主に引き継いでいた記録が残っているほどです。
そして城主らもつつじが岡でお花見を楽しんでいました。
1721年(享保6)に行われた松平清武の花見は
家来から料理人まで、総勢153人にも及ぶ
絢爛豪華なものだったそうです。

訪れたときは既に満開時期を
少し過ぎていましたが、
それでもつつじを楽しめました。